namie amuro LIVEGENIC 2015-2016
その当時は沖縄出身の人は芸能界では売れない、南沙織さんは異例で、他の芸能人はなかなか人気が出ないというものだったらしいです。
沖縄は70年代に本土復帰するまでは外国で、渡航がそれほど盛んではなく、あまり交流がなかったことなどが要因でしょうか。
安室さんもそれは理解していたようですが、それでも芸能界に入りました。
安室さんは運が良かったのか、すぐにCMや歌番組に出たりと、仕事がない状況ではありませんでしたが、それほど人気は出なかったらしく、デパートなどの屋上やスーパーで歌を歌ったり、小さなイベントに参加したりと、コツコツ活動もしていたそうです。
しかしあまりお客さんはおらず、売れてないと感じることが多かったとか。
その後安室さんだけポンキッキーズにうさぎの姿で出たりと、歌手とはまた違うところで活動を続けていました。
なんとなく安室奈美恵さんというタレントがいるのは知っているとか、よく出ている人だなと言う認識の人はけっこういたように思いますが、かといってファンなど好きだというわけではなかったように思います。
そして17歳の時にTRY MEで人気が出てその時にファッションがおしゃれだということですぐに安室さんの格好をまねする人が出てきました。
14歳でデビューしてちょうど3年目の出来事で、ぎりぎり約束した3年以内に売れることができました。
その年は小室哲哉さんのプロデュースへと変更されましたが、確か初のオリコン1位を獲得したと思います。
その時にはやはり格別だったようで、喜びにあふれていました。
安室奈美恵さんには兄と姉がいましたが、母親は小さい頃に離婚をし、母親が働いて3人の子供を育てていたそうです。
しかし母親の収入だけでは生活は厳しく、また忙しいこともありあまり親子が一緒に過ごす時間と言うのはそう多くはなかったそうです。
安室さんは友達のレッスンについって言った時にスカウトされたそうですが、家にはお金に余裕がなかったことなどから、母親はそれほど賛成はしていなかったようです。
月謝もなかなか払えない状況だったようですが、素質を見込まれて免除されたそうです。
しかし通うためのバス代がなく、徒歩で片道1時間以上歩いて通っていたようです。
母親も若い頃は沖縄に仕事がないということで、関東に出てバスガイドをしていたと話していました。
当時沖縄には仕事がないので県外へ働きに出る人も多く、今も県外で短期で働いて、その後沖縄へ戻って過ごし、また働きに出るという人も多いそうです。
安室奈美恵さんが上京したころはメンバー5人が2つのマンションの部屋に分かれて共同生活をするという形で住んでいたそうです。
それもあってか安室さんはスーパーモンキーズの頃はメンバーとは仲が良く、家族のようなものと言っていた気がします。
安室さんは小食だったので母親も健康の方は大丈夫なのか気にしていたそうです。
元々安室さんは沖縄が好きで、母親思いで、子供が好きだと雑誌などで語っていました。
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